というのも今年、出身大学の医局に入局したのです。だいたい初期研修の2年が終わると、どこかの医局に属する人が多いんです。そして大学の医局に入ると、関連病院での外勤や当直が始まります。
私も、県内を西へ東へ移動して、当直などをしています。
そんな外勤先のひとつで、高速で大豊ICを降りたさらに奥の病院に行っています。
行く道で四国の水がめ早明浦ダムが見える、山あいの病院です。
おかげで毎週早明浦ダムを拝めるのですが、早明浦はすごいけど大きすぎてちょっと情緒に欠けるのよね・・なんて思ってしまうわけで。
でも大豊方面にはまだまだダムがあるのです。
先日、外勤のあとにゆっくり時間があったので、ひさびさのダム巡りをしてきました。
大豊ICから南下すること数km、まずは繁藤堰堤です。
繁藤堰堤は、上流にある穴内川ダムに対して、揚水発電の下池としての役割を、そして穴内川から吉野川へ流れる水の一部を高知の国分川へ分配する分岐点としての役割を持つ堰堤です(88箇所巡りサイトより)。
普段は上から下へ水を落として水力発電をしますが、下のダムに水を溜めといて、夜間に余った電力で下から上へ水を汲み上げて日中の水力発電に使うのを揚水発電といいます。
ここでは穴内川ダムが上池、間に穴内川発電所を置いて、繁藤堰堤が下池となって揚水発電が行われています。
高速道路沿いの西側にあるので、毎週病院へ行く途中に見下ろすのが好き。
左岸から
奥に写ってるのが高速です
右岸から、下流側。
晴れてるし、ぜんぜん放流してない。。
右岸から、上流側。
けっこうなみなみ溜まってます。
管理事務所の柵にハンコがありました。
サイトによると、蓋に四国電力からのメッセージが書いてあるとのことでしたが、蓋はどこかへ旅に出ていました。
代わりといっては何ですが、蜘蛛の巣みたいなのがいっぱい。できれば触りたくない感じ。
奥に手袋がありましたが、これのために用意されたわけでもないでしょう、こっちも虫だらけっぽい。うひょー
虫を恐れてダムめぐりはできないのです、ということでハンコゲット。
この日は朱肉を忘れてしまいましたが、ちゃんとハンコと共に用意してありました。四電さんナイス。
ちなみに、ハンコがないときは蛍光ペンをハンコに塗って代用できます。
昔消しゴムハンコにはまっていた時は蛍光ペンにお世話になったものでした。懐かしいな。
ダムから少し離れた北側に車をとめたんですが、工場の資材置き場になっていました。
こういうのすごく好き。
盛り合わせって。盛り合わせ・・・笑
右岸側の道路の壁に、四電マークが書いてありました。こういう苔アート、よく見ますね。
病院の近くにも、交通安全の標語みたいなのが苔アートしてあるし。この手をよく考えたよなあ。
どうやってるんでしょう。苔が生えない塗装とかするのかな?時々削ってるのかな?
さて、88箇所マップを見ると、近くにもうひとつダムがあります。
繁藤堰堤の上池、穴内川ダム。
繁藤堰堤から南へ少し行くと、左折すれば高知方面、というT字路があります。
これを直進して、3kmくらい進みます。
集落を抜けていくと、急に幅員減少。
やっぱそうきたかー。と言いながらヘアピンカーブをくねくねと。
だいたいダムというのは人里はなれた山奥にあるのです。
繁藤堰堤とか杉田ダムみたいな道沿いどーん、てのは特殊な例です。
すると目の前が開けて巨大なダムが現れました。
これは堰堤って書いてあるけどダムです。
小さい堰堤が堰堤で大きい堰堤がダムなので、まあ広義には堰堤ですが。
照度の関係か、上流から見るとなんだか砂漠の城のような雰囲気があるダムでした。
このダム、日本にも数箇所しかない、四国には2つしかない中空重力式構造のダムなのです。
中空重力式コンクリートダムとは。昔、コンクリートの材料が高価で安定供給が難しかった時代、コンクリートを少しでも節約しようと、いわゆる重力式コンクリートダムの中を空洞にして作られたんだそうです。作るのめっちゃ難しそう。
現代ではコンクリートが安くなり、安定供給が可能なので中空重力式はもう作られていません。
でもこの中が空洞なんて変な感じ。中に入ってみたいですねー。
これこれ。
穴内川ダムは四国電力のダムとしては最大で、県内では早明浦ダムに次いで大きいそうです。
こんなに大きいけど、電力会社のダムだからダムカードは貰えない。残念。
天端から見下ろすとこんな感じ。緑豊かな山の中です。
これは天端に下りる階段のコンクリート。
確かに、石が大きくてコンクリートの質はイマイチそうな感じがするかも
ハンコゲット。これで20個です。
管理事務所のかたわらに、謎の蓋がありました。
何だろう・・・
よくわからないけどこういうの好きなんです。
対岸からの帰り道。すごーく長い天端を渡ります。
洪水吐きが左岸にぎゅぎゅっと寄ってて、左右のバランスはいまいちかな。
そしてダム建設のときに亡くなった方の慰霊碑も。
すごく大掛かりな工事だし、昭和30年代。事故もあったのでしょうね。
帰り道、車のすれ違いも怪しい細い道の途中に、こんなのがありました。
この苔アートはアマチュアの作品ですね。
わざわざこんな山奥に来て何してるんだか。
そのまま下道で南国へ下りました。
根曳峠を越えたあたりで、目の前にどどーん。
採石場でしょうか。
すごーいハウルの城みたい。
つい引き返して写真撮っちゃいました。
下道を通るのは久しぶりです。学生時代は香川も愛媛も宇和島も、節約のため下道で行ってたけど、最近はすっかり時間節約が第一になっちゃったからなあ。
下道の景色もいいものですね。カーブはやだけどね。
というわけで梅雨入り直前のダムめぐりでした。
梅雨になったら放水してるダムが見れそうです。が、雨の中のお出かけは億劫なのでどうなることやら。