2011年9月27日火曜日

弾丸の旅。ろく

高速に乗ったのは4時過ぎくらいでした。
とりあえず乗るまではあたしが運転。

温泉への道はわからずとも、信濃町ICからの道はわからずとも、長野ICは毎度利用しているのでちゃんと行けます。

100キロくらい走っていったん休憩。
温泉まんじゅうをつつきました。
やっぱり美味しい。
小さい頃、山田温泉に行くたびに温泉まんじゅうをねだってたけど、決して雰囲気に流されてたわけじゃなかったんだ。ほんとにおいしかったんだ。

ここで早くも選手交代して、助手席へうつりました。
先は長いのです。

iモードを駆使して探しだした「ドライブトラフィック」によると、土岐の手前から6kmくらいの渋滞が起きている模様。
車線規制のため、交通集中による渋滞が起きているとか。
たぶん、行きの通行止めの原因になってた土砂崩れか何かの、復旧工事をしているんでしょう。

渋滞に備えて、その手前、駒ヶ岳でふたたび休憩を。
おやきを食べました。

うまし。

あと、駒ヶ岳は標高が高いSAです。

さむし。

SAって、お茶のサービスがあるんですね。
ふだん一人だとあんまりSA内で休憩しないから、知りませんでした。
水は知ってたけど。
この時期は寒いし、あったまれてよかったです。

3人でおやきとまんじゅうを並べてお茶をすする光景。
(想像してください。しゃしんはないよ)

ここで再び運転手になって、出発。
高知まであと560キロ~♪
などと言ってテンションを下げつつ、渋滞に突撃です。

渋滞は突然始まり、すぱっと終わりました。
快調に走ってたのが、カーブを曲がった向こうにいきなりずらっと渋滞。
ま、渋滞ってそんなもんでしょうか。

10~30キロくらいでずっと流れ続けてたので、いかにブレーキを踏まずに行くか、頑張ってみました。
なんとなく登り坂だったからできたのかも。
そうでもしないと眠くなりそうで。

渋滞の原因は、予想通り、土砂崩れの撤去&補修作業でした。
ボーリング車も来てたから補強工事もするのかな?
現場を過ぎて2車線に戻ったとたん、車の流れがすいすい。

あとは渋滞らしい渋滞もなく、スムーズに帰りました。
ちょいちょい休憩して、パンとかまんじゅうとかおやきとか食べて、選手交代して。

なのに途中の大津SAでは、ちゃんと食事を食べたいと言って、それぞれ天ぷらそばと天ぷらうどんとラーメンと、麺ばっかりを食べちゃったり。
ちょうどDr.Gを放送してたから、つい見入ってしまって時間を食いました。笑

0時過ぎてから橋を渡って橋代も半額になり、高知に着いたのは午前3時。
集合場所だった先輩宅に二人を降ろして、弾丸の旅は終了しました。


濃くて短い旅でした。
お付き合いくださった先輩、ちーちゃん、
突然の帰省にぶーたれつつも面倒見てくれてたちちはは、
宇宙人っぷりを遺憾なくハッキしてくれたであろう妹、
あたしの帰省により迷惑を被った方々(ごめんなさい)、
そしてこの長い覚書にお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました。

次回、ちょっとだけ続きます。
おまけ編です。



・・・おわり。

とみせかけてつづく。

2011年9月26日月曜日

弾丸の旅。ご

信州そばでおなかを満たしたあたしたち。
善光寺の前を通って、次に目指したのは雲上殿です。

雲上殿とは。
善光寺の、納骨堂です。
善光寺から北へ約2キロ、大峰山の中腹にあって、赤が印象的なお寺です。

 



と、雲上殿を見る前に、おやきを買わなきゃなりません。

善光寺の周りにはおやきやさんがいくらでもあるので、買うのはどこでもよかったんですが。
雲上殿へ向かう途中、「栄心堂」というお店の前を通りました。
そうだここ、祖母の好きな甘味やさんだっけ。
というわけでここに立ち寄ることに。
おやきってのは、小麦粉で作った皮で味の付いた野菜を包んだ、まんじゅう型の食べ物です。中に入れるのは、味噌味のなすとか野沢菜、切り干し大根、南瓜、山菜、etc...
あきらかに甘味じゃないんだけど、長野の甘味やさんではけっこう売ってます。
最近は、「あんこ」なんて、昔じゃありえない具もあったりします。

栄心堂で、1人2つずつ買いました。
あたしのお気に入りは、なすと野沢菜。
切り干し大根も捨てがたい。
ちなみに妹は、大の南瓜好きなのでたぶん南瓜が1番です。

ご飯の直後なのでおやきもしまって、
いよいよ雲上殿へ。
小雨の中でしたが、善光寺平が見渡せていい景色でした。
先輩は高いところに上りたかったらしい。
長野の「山」というものに興味があったのでしょうか。
あんまり立派な高原には行けなかったけど、ここも充分いい高台だったと思われます。
春には桜がきれいに咲いて、お花見のひとでにぎわうことでしょう。
石段がぼろくて通れなかったのが残念だったけど。


雲上殿を出て、そのまま登っていくと地附山公園につきます。
1985年7月、ここで大きな地滑りが起き、26人もの人がなくなりました。
その後地滑り対策や植樹が行われ、その跡地が公園として公開されています。
地滑りについて学べるようにもなっていて、むかし地震を専攻していた先輩はパネルを興味深そうに見ていました。
公園内はハイキングのコースとしても整備されているし、展望台もアスレチックもあります。地滑りを学ぶための設備もあれこれあります。
そして、斜面にはローラー滑り台。

とりあえず展望台から市内を眺めました。
雲上殿以上の眺望!
あたしの通ってた高校も、オリンピック会場だったエムウェーブも、千曲川の向こう側も、よく見えました。

展望台のあとは、もちろん、滑り台。
雨でローラーが濡れていたので、お尻をつけないように頑張りました。
傘も一緒にすべりました。
おもしろすぎる。この面白さは子供には教えられません。

めっちゃ楽しい!といって注意書きを見たら、
一番上に「濡れているときはすべらないこと」
二番目に「必ずすわってすべること」
って書いてあったのは秘密です。

あたしと先輩は、楽しすぎて一回余計にすべっちゃいました。

そして地附山をおりて、いったん実家へ。
家から借りた地図や傘を置いて、高知へと出発です。
とそのまえに、近所のパン屋さんへ。
高校の頃にオープンした、大好きなお店。
すごくおいしいんです。
Voisin(ヴォワザン)

それぞれ好きなものを買いました。
温泉まんじゅうにおやきにパン。
もう食べるものには困りません。

中央道の通行止めも解除されたということで、帰りは中央道まわりで帰ることにしました。
(というか、北陸はまだ通行止めで通れませんでした)

いよいよ弾丸の旅もおしまいが近づいています。
あと1回かなー。


・・・つづく。

2011年9月25日日曜日

弾丸の旅。よん

いよいよ長野最終日。

ほんとは朝には出発して夜高知に着くつもりだったけど、台風のせいで無事に帰れるかも分んないし、あまりにも強行軍すぎるだろ。ってことで、深夜高知着に予定を切り替えました。
これでもうちょっと長野観光できる。

まずは、温泉。
長野にはけっこう温泉が多いのです。
とっても熱い野沢温泉、混浴の松代温泉、怖ーい地獄谷温泉、などなど。

そのなかでもわりと近い、山田温泉に行ってきました。
信州は高山村にある山田温泉郷。
うちからだと車で1時間弱。
きのう行った小布施からは15分くらいの距離です。

春は桜、夏は高原、秋は紅葉、冬はスキーが楽しめるらしい。
そして一年中、温泉。

家族でたびたび行ったことのある場所だけど、自分で運転していくのは初めて。
先輩のナビが的確で、あんなにストレスフリーなナビは初めてでした。
あたしが地元のこと知らなさ過ぎて、先輩はストレスフルだったかもしれませんが。笑

家からどんどん西へ行って、千曲川を渡ってまだまだ西へ。
千曲川は新潟に入ると信濃川になります。日本で一番長い川です。
平野から急に山道になり、どんどん登って行った先に山田温泉郷はありました。
この日はカメラ行方不明事件のため、ほとんど写真撮ってないんですが。。
(カメラは後にあたしのカバンからふつーに発見されました。小声)

大湯のちょっととぼけた受付のおじちゃんとひと悶着ありつつ、無事入浴。
ここは完全に天然かけ流しです。
「蛇口」ってものが浴室内にいっさいない、贅沢な作り。

常連のおばあちゃん2人とおしゃべりしつつ、浴槽のいちばんイイところを教えてもらいつつ、あったまりました。
43度くらいあるんかな、熱かったけど、「今日はいつもよりぬるい」らしいです。
ま、野沢温泉の熱さはこの比じゃないからなー笑

30分くらいのんびりして、外のお土産屋さんで温泉まんじゅうを買いました。
昔から、山田温泉に来たら温泉まんじゅうなのです。
表に温泉マークが押してあって、黒糖がきいてて美味しいのです。

でもこの後お昼だから、とりあえずしまって・・・


次はふたたび小布施へ向かいました。
昨日いけなかった小布施ワイナリー
「垢抜けないワイナリー」というのを押し出しているようですが。
街から少し離れた、細い道を入った奥にある、見つけにくい小さなワイナリーです。
でも美味しいのよ。
先輩方に試飲してもらって、結局何も買わずに帰りました。
お土産に買ってきても、みんな味わう前に飲んじゃうからもったいないね、って話で。笑

もっと大人になったら、買ってきて味わいたいと思います。


小布施から長野に戻り、やっとお昼ご飯。
うちと善光寺の間にある、小菅亭ってお蕎麦屋さんです。
お客さんが来たらほぼ必ず連れていく、寺島家御用達。
もりそばとざるそばの違いに悩みつつ、天もりそばを頼みました。
ざるそばは、もりそばよりも高級品らしいです。
目印にノリが乗ってたりするようです。
つゆも特別にざるつゆってのを用意したりするんだとか。

やっぱ信州の蕎麦は美味しいですね。
斜め隣の席のおばちゃんが、特製天ざるそばの麺をほぼぜんぶ残していて(天ぷらは完食していた)、うあーもったいない食べたい!!と3人で悶えたりもしました。

蕎麦も食べれたし満足満足。
あと食べてないのは、長野の郷土料理、おやきです。

午後はおやきを買うところから始まりますよー。


・・・つづく。

今日のコーデ

帰省レポのあいまに、日常のことでも。

女の子のブログで、定番の記事といえば、これですね。

「今日のコーデ」




てわけで、公開します。
じゃじゃーん







ん?何か違うって?

いえいえ、これが今日のあたしの正装ですよ。
トップは東山堂の胴衣、ボトムは同じく東山堂の藍染の袴。
インナーも東山堂でそろえた、トータルコーディネートなのです。



・・・、合気道の合宿があったんです。
といっても、室戸が取れなくて、武道館での強化練習&昇級・昇段審査という感じ。
今日は午後からの稽古でした。

西医体以来、久々に胴着を着ました。
1、2年生が成長していて、すげーなぁと思ったり。
やっぱりあたしらの先輩がたはすごかったんだなぁと思い起こしたり。

みんなは明日も朝から稽古ですが、あたしはダンスのレッスンを休めず、欠席する予定です。残念。


夕方から学校でチームの衣装を探して、ジャズクルーの練習して、中夜祭の練習もちょっとして、
さっきまで街のイベントに行ってました。

TeeHee。
本学の後輩が主催したクラブイベントです。
途中からだったけど、ゲストめっちゃ豪華だった☆
クラブはひさびさ。
爆音が心地よいです。

もちろんここへはちゃんとクラブ仕様で行きましたよ。
胴着袴じゃありませんよ。笑

2011年9月24日土曜日

弾丸の旅。さん

長野2日目は、ひたすら観光です。

まずは善光寺。
うちから徒歩10分なんですが、出る頃になって雨がひどくなってきたので母親に送ってもらいました。

まずは仁王門。
あたしの小学校時代の通学路です。
その辺の草花とか、赤い羽根募金のひとにもらった赤い羽根とか、よくお供えしたなあ。




ここの左に、大本願があります。
毎日のように通って、文殊菩薩にお参りして、水子供養の噴水にお水かけて、水飲んでたところ。

ほんとは、善光寺の住職をつとめる上人様が住んでいるところでもあります。
善光寺は、浄土宗大本山大本願の上人様(尼さん)と、天台宗大本山大勧進の貫主(お坊さん)のふたりが住職を務めています。

大本願をうろうろしてたら、そこのおじさんが声をかけてくれて、大本願の建物に入れてくれました。
そこで善光寺解説を。

むかしむかし、552年に、善光寺のご本尊「善光寺式阿弥陀三尊」は百済から日本の天皇にもたらされました。その前はインドにいたので、三国伝来の仏像と呼ばれています。
しかし、八百万の神を信仰していた日本では、この新しい仏像をあがめようとする派と、反対派とに分かれて争いが起こり、結局ご本尊は打ち捨てられてしまいます。
そこをたまた長野から来た本田善光が通りかかり、ご本尊は善光に語りかけて肩にとびのり、善光がご本尊を長野に持ち帰ったのが善光寺の始まりだとか。
以降色々ありましたが、今の状態に落ち着いたというわけです。


うちのご近所さんに、日本最古の仏像が安置されていたとはねえ。
珍しく若い人たちが来てくれたから、嬉しくて声をかけてくださったという大本願のかた。奥にまで上がらせていただいて、ゆっくりみることができました。

大本願を出て、少し大門までの道を歩いて、またUターンして本堂の方へ。
仲見世通りを通って三門へ向かいました。
途中、大好きな細道を見つけてしまって脇道へそれましたが。

 


駒返り橋の前を通って三門へ。
少し前に改修が終わって、とってもキレイです。

三門から本堂を望む


時間の関係で御戒壇巡りはしませんでした。
お参りして、地震の痕を見て、善光寺をあとにしました。

帰り道、昔愛用していた細道を通りました。
命名:へび道(byあたし)

 


小学校時代、近いと信じて通っていた回り道のひとつ。


さて、善光寺の次は松代へ。
お昼を小布施で食べるために、その前に松代を見なきゃなりません。
けっこう忙しい。

まずは途中にある、川中島古戦場へ。
上杉謙信と武田信玄の戦いの地です。



ここもあたしにとってはちょっと遠くの遊び場でしかなかったのですが。
歴史的にはすごいところなのよねー



かなり広い公園になってます。
雨の中ってのも雰囲気があってなかなか。

 


奥に見えるのは長野市立博物館です。


古戦場を出て、いざ松代へ。
第二次世界大戦の名残、松代大本営跡のひとつ、象山地下壕を見てきました。

ここに東京の中枢機能が移転されようとしていたんですね。
完成の前に終戦となってしまい、実際に使われることはなかったようですが。

ヘルメットをかぶって昔の血が騒ぐ先輩。

 



実家にお客さんが来るとたびたびここを案内しましたが、何度入ってもこわいところです。
大勢の人が働かされて、犠牲になったんだなあと考えると。


象山神社もお参りして、松代の趣ある街並みを歩いて、いよいよ小布施へ。

高速に乗って小布施へ移動して、お昼はここの竹風堂でいただきました。
小布施といえば、栗。
竹風堂の栗おこわです。


あーおいしかった。
何度食べても竹風堂の栗おこわはいいです。
一緒についてるむかごがまた美味しい。

小布施観光は、北斎館と岩松院。
小布施は北斎が80歳をすぎてから訪れた土地らしいです。
北斎は90歳まで生きてますからね。
70歳過ぎてから絵のさらなる成長を求めて号を変えるとか、もうすごすぎます。
超元気パワフル老人。

岩松院は北斎が描いた天井絵があるところ。
八方睨みの鳳凰図。

小林一茶の句、「やせがえる まけるな一茶 これにあり」
の碑があるお寺でもあります。


ここも何度か来てるけど、やっぱりすごい迫力。
ほんとは小布施ワイナリーにもよりたかったけど、もう閉まっちゃう時間だったのと台風がだいぶ近付いて風が強くなってきたのとで、家に戻りました。


実家での晩御飯は、・・・お寿司。

なんでもやってみたい父親が、最近はお寿司にハマっているらしいです。
酢飯を作って自分で握って、
お魚も買ってきて自分で捌いて(これは前からやってた)、いやーおいしかった。
食べすぎた。


妹の友達も呼んで、7人で食べて飲んで。
この日も3時近くまで飲んでしまいました。


そういえば、前日に通ってきた北陸道は、あたしたちが実家に着いた後、台風の影響で通行止めになってしまいました。
あたしたちが高知へ戻る時にもまだ通行止め、そのうえ下道も通行止め。
ほんとにぎりぎりで帰ってきたんですね。

あと1日早かったら北陸道も中央道も通行止めで高知に戻れなかったし、
あと1日遅かったら長野にたどり着けてませんでした。
悪運つよし。


つづく

2011年9月23日金曜日

弾丸の旅。に

吉備SAで、目が覚めたら9時半。
来たときより、車が増えています。
後ろの方には、来たときからあったイタ車がまだ止まっていました。

いったん車を降りてお散歩して、いざ出発です。

ここからだと、山陽道→中国道→名神→中央道→長野道
で約7時間の道のり。

あいかわらずの雨の中、運転手と助手席が起きてて、後部座席のひとは寝て、ときどき交代しながら長野を目指しました。

特に急いでいるわけでもなし、のんびり向かっていたのですが、つぎに問題が起きたのは大津SAをスルーしたあと。

草津PAで休憩しようとしていたら、後ろで寝ていた先輩が起きました。
そしてラジオで高速道路情報を確認。
・・・多治見‐土岐 間で通行止め!?

中央道で帰るならここを通らなくてはならないのに。
理由は、災害。
きっと大雨の影響で地崩れかなにかがおこったのでしょう。

うちらが行くまでに通るのかな・・・
と心配しつつ、迂回路を考えつつ、こんなときに頼りになるのが父親です。

通行止めだよー、どうしよー。

とメールしたら、すぐ電話が返ってきました。

「北陸まわりで帰ってこい」

ちょうど米原まであと数キロの時。
ぴったりのタイミングで、米原から北陸自動車道へうつりました。

北陸をまわると数十キロ遠くなるので、あたしは初めての体験です。
ちーちゃんも先輩も西のひとだし、みんなで地図を見ながらわいわい。

途中に寄った尼御前のSAかどこか、トイレがとっても素敵でした。


手を洗うとこ

パウダールーム


最近のSAは凝ってるのねー

ときどき前も見えないほどの雨に襲われつつ、糸魚川を過ぎたのが6時過ぎ。
上信越道に入って、ずーっと南下して、信濃町ICを降りたのが7時半。
そこからあたしがちょっと遠回りしてしまい、8時20分に実家に帰りつきました。

17時間半・・・
長い旅路でした。
吉備からだと約11時間か。

家では豚の冷しゃぶを食べ、激多忙母と一家に一人父と宇宙人妹との遭遇を果たし、先輩が三線を披露してくださり、妹はヴァイオリン、あたしと母はピアノを。
やっぱり我が家は賑やか過ぎます。

父親が出してきた焼酎とウイスキーを飲みながら、3時近くまで喋っていました。

翌日は8時起床。
観光の1日です。




つづく

弾丸の旅。いち

前回の記事でもさらっと書きましたが、帰省してきました。
大雨弾丸警報でした。

ちょっと詳しく書いてみます。
あたしの日記みたいなものだから、記事数多くなりますがお許しを。


まずは19日。出発の日。

前日18日、昼から飲んだくれる会を開催し、夜は3、4、5、7年生8人が集まってわいわいやり、寝落ちしたひと(38さい)のまぶたに目を描き眉毛をつなぎ鼻の穴にホッケの干物を刺し膝にひざ小僧を描いて手に象さんを描いて足の指1本ずつに顔を描き腕には登り龍を描くという所業を油性マジックで行い、
4時までに高速へ乗るために3時半にそこ(先輩宅)に集合しようと決めてああ3時間も寝られないとぼやきながら0時に解散しました。

帰宅してからあわてて帰省の準備。
といっても必要なものを書き出して洋服を揃えるくらいしかやる気が起こらず、でものんびりしてしまって2時に就寝。
おたがい、起きたらみんなにメールして、3時になっても連絡のない人には電話をしよう。という約束でした。
夢の中で一度電話が鳴るのを聞き、2度目の電話で目を覚ましたら、同期のちーちゃんから。
「おはよ~、起きたよー、ありがとう」
と寝ぼけ半分で電話を切って、よしあたしも起きましたメールを送ろう。と携帯の画面を見たら時間は3時33分。

!?

あわててちーちゃんに電話かけなおし。
ちょっと待って今どこ!?先輩は!?

ちなみに今回の帰省は、ちーちゃんと先輩と3人です。

どうやらちーちゃんが起きたのが20分。あたしに電話しながら集合場所の先輩宅へ向かい、ソファからずり落ちて寝ていた先輩が起こされたのが40分。

あたしが必要そうなものをスポーツバッグに放り込んで、家を出たのが45分。
地下の駐車場は大雨のために広大な水たまりと化し、外は雨ざーざー。
先輩宅に着いたのが50分。
前日のお酒によりちょっとぐろっきーになった先輩が歯を磨いて車に乗り込んだのが56分。
インターの直前で信号に引っ掛かり、青になったときに時計が59分に変わりました。

どうにか間に合いましたとも。
たぶん、ETCゲートを通過したのは59分30秒くらいだったと思われます。

なんとまぁぎりぎり。
おかげで、高速料金半額で実家に帰れました。

ゲートを通過した時の達成感はもう言い表せません。
やりきった・・・!


しかし。ほっとしたのもつかの間。
とりあえず寝ようと寄った南国サービスエリアでお茶を飲みながらぐでーんとしつつETCのパンフレットを見ていたところ、0-6時の間に瀬戸大橋を通過すれば、橋代も半額にできるということがわかりました。
橋代をまともに払うと4100円。半額で2050円。ばかになりません。

時間は4時25分。
・・・いくか。

というわけで再び出発。
先輩は後部座席で眠り、ちーちゃんを助手席に乗せて、
「寝たら死ぬよ!」と脅しながら頑張って走りました。
雨すぎてスピード出すのは怖いし、でものんびりしてたら間に合わんし。
どうにか6時までには瀬戸大橋に到着できそう、でも渡りきるのは無理かも・・・というとき、気づきました。
瀬戸大橋、乗る側にはゲートないじゃん。
降りる方にはあるけど、降りてからしばらく行かないとない。たぶんそこまでは間に合わない。

しかーし。
与島SAがあります。
あそこにはゲートがあって、6時までに橋の上にいたという記録を残せます。
よーし与島までがんばってそこで休憩しよう。

とさらに走ること数分。
あれ?与島のゲートは出るときにしかないぞ。与島に入る時は何にもないぞ。ということが判明。
結局、与島に降りて、そのままくるっと回って出口のゲートを通って橋の上に戻ることにしました。
どんどん休憩が遠くなる・・・
これが5時55分。
橋に戻る道中、ちーちゃんと二人、よっしゃー!!と達成感に浸って大騒ぎ。

そのまま橋を降りて、6時を回ってから料金所を通ったら、ちゃんと半額になってました。やった!
料金所を過ぎて最初の、吉備SAでやっと休憩。

6時15分頃から、9時半まで車の中で仮眠しました。

もうここまでで3仕事くらい終えた気分。

外は相変わらずのざーざー降りだし、なんとも波乱のスタートとなったのでした。


付け足すと今回の旅、すっきり晴れたのは帰高する途中の高速道路からでした。がくり。



・・・つづく。