2014年12月23日火曜日

酷道与作

21日の夜、酷道与作を走ってみた。
酷道与作。国道439号。
徳島県徳島市と高知県四万十市を結ぶ、ほとんど山道の長い国道。

一度通ってみたいと思ってたんだけど、幡多から梼原へ行くのにちょうどいい機会だと思ったのだ。
しかも道沿いにはダムがある。これは通らないわけにはいかないよね。
というわけで出発しました。夜だけど。

ちなみに、幡多から梼原へは、いったん愛媛へ抜けて鬼北町とかを通る道がスムーズです。もしくは宇和島経由。

19時半に四万十市役所の横を通過。商店街の外れみたいなとこで、スタートからして国道らしくない。

四万十川の隣を流れる後川を渡って、安並を通って北へ。しばらくは走りやすい道。
が、伊才原でいきなり通行止め。
あれ…
工事?迂回路あったかな…

ちょっと戻ると、あったあった。
ほっそい橋を渡って対岸へ。これがまた狭い。酷道は裏切らないね。
即席っぽい橋を渡って、急な坂を上って、本線に合流。

しばらくは走りやすい道だったのが、住次郎トンネルを過ぎてちょっとしたら急にかくっと曲がって、細くなった!
いきなりくねくね、落石たくさん落ち葉だらけ。これが国道かよー。何日も人通ってないんじゃないの?っていうくらいの荒れっぷり。石を踏んでタイヤがパンクしないかどきどき。
途中整備されて綺麗になってる場所もあったけど、概ね山道でした。時速20〜30kmでくねくねくね。

スタートから40キロくらい走って土佐大正に到達。ここで交わる381号を東にいくと、フィギュアで有名なホビー館があるのだ。
しばらく381号と合流して進む。割と走りやすい道を10キロくらい行くと、お待ちかね、ダムです。

津賀ダム。
天端の端に車を止めて、降りてみる。
あたりは真っ暗。ゲートの制御盤のランプが点々とついてるだけ。見上げると星が超きれい!

懐中電灯を引っ張り出し、ダムの納経帳を持って歩き出す。

ていうか、ここ、圏外だ。少し手前で聞いてたPodcastが止まったんだけど、圏外でした。
ダムは見えずとも、ハンコだけでも押したかったんだけど、ハンコの位置情報がわかんない。だいたいダムというのは山奥なんだから先に調べとけばよかったんだよね…
まあ、ありそうなところを探すことにして、天端を渡った。
放流中らしくていい感じの音が響いてる。しかし見えないー
対岸の管理棟の入り口にもハンコはなく、残念引き返す。
そして車の周りをよく見ると、向こうに木の小屋が建っている。ダメもとで近づくと、四電のふれあいトイレって書いてある。
そしてその横に、発見!
見慣れたハンコ入れ。
インクは無いけど、ちゃんとマイ朱肉があるもんね。

というわけで津賀ダムげっと。でもちゃんと姿を見たいから、また来ると思います。



ついでにふれあいトイレ、中はちゃんとトイレットペーパーがあって、棚には予備の紙もしっかり補充してあった。四電すごい。すばらしい。

ここからだんだん道がくねくねに。
でも最初ほどの落石っぷりじゃない。

途中小さな集落を通ったんだけど、人形の顔を使ったカカシが道沿いに立っていた。何体があって、とても不気味だった。何かのおまじない?

ナビで松原の文字が近づいてくる。ここは診療所の研修で2回来たところ。知ってる地名を見るだけで安心するというもの。
見覚えのある郵便局とパン屋さん(梼原で唯一のパン屋さんらしい!美味しい!)を通り過ぎて松原を抜け、ここで439とお別れ。このへんから雪が降りだした。梼原の標高はここよりまだ高い。ノーマルタイヤで大丈夫?毎度のことながらどきどきする。
439号は雲の上のホテルの手前くらいに繋がるんだけど、梼原の街へ行くなら県道26号の方が近いのだ。これもやや険道の感があるけど。

途中、初瀬ダム(別名佐渡ダム)の横を通って、酷道197に合流。
初瀬ダムは10月に来たけど、あの時は台風で雨雨で、ぜんぜんゆっくり見れなかった。津賀とあわせてまた見に来よう。

ここまで来ればあと少し。
ちなみに26号最後の川口トンネルの手前を東へ折れると川口ダムというのがある。
これは88箇所にも載ってない、小さな趣のある堰堤だ。ただし道は未舗装。以前ここを攻めてパンクしたので、行く時は要注意。

あとはトンネルを幾つか抜け、パチンコ屋を通り過ぎて、梼原のメインストリートに到着。
最後の方は、橋の上はもう雪がしっかり積もってた。
到着は22時半。3時間もかかりました。


次は明るくてあったかい時に。
あと、セダンで通る道じゃかった!もう1台車欲しいわー…小さくて馬力あって傷ついても悲しくないやつ。笑
昔の傷傷ヴィッツを懐かしんでいます。

2014年12月17日水曜日

自動水洗

twitterで小さく盛り上がったので書きますが、
あたしはトイレの自動水洗が嫌いです。

自動水洗が生まれたのは、確か男性用が先。
便器の前を離れると自動で水が流れて、大変好評だったらしいです。
男性はどうしても手が汚れますしねー。
他人の汚い手が触ったレバーを触らずにすむってのが良かったのかもしれません。

自動化は進み、女性用も手をかざすだけで流せるようになり、
次は立ち上がるだけで勝手に流れるようになり、
最近のトイレはドアを開けただけで勝手にフタが開くようになりました。

日本人の技術力と知恵はすごい。

しかしね、そこまでやる必要ある?
と思ってしまうのです。
女性用の自動水洗のメリットは、
1)他人が汚い手で触ったかもしれないレバーを触らずにすむ
2)ついつい流し忘れても安心
というところかと思うのですが。

一番汚くなってそうな和式トイレにはまず自動水洗はないし、そうすると1)は微妙です。
だいたい便座が共有な時点でそれどころじゃない。
2)は・・・そういう人はまずいないと思うんだけど、いるのかな?

逆にデメリットは、
・電気代の無駄
・おなかの調子が悪いときなんか、途中で何度も流れたりする
・物を落としてしまったときにどうしようもない
・検便の検体が流れていってしまう悲劇!!
などなど。

あとあたしがよくやるのは、『立ち上がった瞬間に流れたのをすっかり忘れて、服を直した後に自分でも流してしまう』
結局無駄にしちゃいます。
それと医学的見地からいうと、モノはぜひ見ておくべきです。見なきゃタール便とか気づけませんし。水分摂取が足りてるかの目安にもなります。

どーですか。メリットよりデメリットのほうがでかくない?
検索してみたら、この自動水洗にイラッとしている女性はけっこういることがわかりました。
というわけでトイレメーカーに提案。
基本的に手動にして、流し忘れて出ていっちゃったときだけ自動で流す、でどうでしょう。

これなら自動水洗を気に入ってる人は困らない、嫌いな人も困らない。
いいと思うのですが。

2014年12月9日火曜日

エストニア

お久しぶりです。
フィンランド旅行記を書ききったらほかのいろいろを書こうと思いつつ、なかなか進まないこのごろです。というのも今の官舎にはネットが通ってないのです。1年だけだし、手続きも面倒なので基本的にパソコンをつつくのは医局で、なのです。


さて、エストニアでの朝食は、ホテルの「チャイコフスキー」という豪華レストランで。ビュッフェ形式で、内容はフィンランドとだいたい同じでしたが、ずっと美味しい。そしてフルーツがたくさん。ディナーのときはドレスコードがあるんだろうな、、という雰囲気でした。
あんまり時間がないので早めにホテルを出発します。でも荷物は重いので、ホテルで預かってもらうことにしました。

エストニア旧市街の石畳を歩きます。
この日はこの旅行中で一番の冷え込み。
ちょっと震えながら、首都タリンの旧市街を歩きました。


タリン旧市庁舎が建つラエコヤ広場


















その片隅で、排気口の風で段を取る鳥を発見。 鳥も苦労しています。



これはたぶんビールやさん。
全体的に、書体も雰囲気があります



展望台から見た風景。 城壁の外にも、素敵な塔なんかが見えます。
方向を変えれば、現代風のビルも。



お姉さん2人が店番をしていたお店でお土産を買いました。
海外では、お裁縫の指貫がけっこうお土産に売っているみたい。かわいい絵が書いてあったので、パッチワーク好きの母に買いました。
このあたりは琥珀も有名みたいで、琥珀のアクセサリーもたくさん見かけました。

昼食は、ネットで高評価だった「オルデハンザ」というレストランで。
真冬で完全にオフシーズンだったからなのか、ディナーじゃなくランチだったからなのか、ネットの評価で見ていたような雰囲気はあまりなかったのですが・・・
意外と明るくてがらんとしてた。

でも、味はとてもよかったです。
きのこのスープが美味しかった。
量はかなり大目でしたけど。




お店のお姉さんによると、エストニアの人たちは、小学生のときからみっちり英語を習うんだそうです。だから若い方は皆さん英語ぺらぺら。

フィンランドもエストニアも、観光関係の方と、若い人たちとは英語が通じないことはありませんでした。



外側から見た城壁


宿泊したホテル テレグラーフの入り口。


船の時間を気にしつつ、荷物を受け取って港に向かいます。
歩いて港について、ほっと一息。
乗り場がAからDまであります。ヘルシンキ行きはどこからだ?
と見回すものの、どこにも見つかりません。

ようやく港の見取り図をみつけると、どうやらコの字型の港の、反対側のターミナルだったみたい。
間に合わないかもー!
と重い荷物をかついでひいこらたどり着くと、受付のお姉さんに
「もう遅いわ。次の便に変えなさい」
といわれてしまいました。
料金はそれほど取られなかったものの、がっくり。

暇なので、港のクロークに荷物を預けて、すぐ横のショッピングモールへ行ってみることにしました。
このクロークのおばちゃんは、英語が通じなかった!
少し年齢層が上がると、あんまり英語教育を受けてない世代もいるみたいです。
でも身振り手振りでどうにか話を伝えたところ、なんとタダで荷物を置かせてくれました。
おばちゃんありがとう。

ショッピングモールでは、フィンランドとの物価の違いに仰天。
ペットボトルも1本30円くらいのとかがありました。
フィンランドから買出しに出てくる人が多いのも納得。

そしてこんどこそフェリーに乗って、フィンランドに帰ったのでした。

フィンランド最終日はヘルシンキを大急ぎで観光。
ヘルシンキ大聖堂、テペリアウキオ教会、ヘルシンキ現代美術館、マリメッコ、etc...

おみやげに葉書でも買おうと寄った郵便局では、トーベヤンソン生誕100周年の記念切手を売っていました。
そしてそれの特集で取材に来たらしいラジオのひとに、インタビューされちゃいました。
この切手のこと知ってた?
トーベヤンソンは知ってる?
どこから来たの?
何しに?
などなど。
つたない英語でしたが無事通じたのでしょうか。

最終日はだいぶ省略しましたが、夕方の飛行機に乗って、また10時間のフライトを経て日本に帰りました。

この旅でお世話になったIさんご家族、ほんとうにありがとうございます。
もっとゆっくり1都市を味わってみたいし、オーロラリベンジもしたいし、また行きたいなあ。
だんだん寒い季節になってきて、旦那さんはまたフィンランド行きたい熱が再燃したようです。



やっとのことで(ちょっと無理やり)終わったフィンランド旅行記。
また普段のことも書いていこう。
ではまた。