2014年12月9日火曜日

エストニア

お久しぶりです。
フィンランド旅行記を書ききったらほかのいろいろを書こうと思いつつ、なかなか進まないこのごろです。というのも今の官舎にはネットが通ってないのです。1年だけだし、手続きも面倒なので基本的にパソコンをつつくのは医局で、なのです。


さて、エストニアでの朝食は、ホテルの「チャイコフスキー」という豪華レストランで。ビュッフェ形式で、内容はフィンランドとだいたい同じでしたが、ずっと美味しい。そしてフルーツがたくさん。ディナーのときはドレスコードがあるんだろうな、、という雰囲気でした。
あんまり時間がないので早めにホテルを出発します。でも荷物は重いので、ホテルで預かってもらうことにしました。

エストニア旧市街の石畳を歩きます。
この日はこの旅行中で一番の冷え込み。
ちょっと震えながら、首都タリンの旧市街を歩きました。


タリン旧市庁舎が建つラエコヤ広場


















その片隅で、排気口の風で段を取る鳥を発見。 鳥も苦労しています。



これはたぶんビールやさん。
全体的に、書体も雰囲気があります



展望台から見た風景。 城壁の外にも、素敵な塔なんかが見えます。
方向を変えれば、現代風のビルも。



お姉さん2人が店番をしていたお店でお土産を買いました。
海外では、お裁縫の指貫がけっこうお土産に売っているみたい。かわいい絵が書いてあったので、パッチワーク好きの母に買いました。
このあたりは琥珀も有名みたいで、琥珀のアクセサリーもたくさん見かけました。

昼食は、ネットで高評価だった「オルデハンザ」というレストランで。
真冬で完全にオフシーズンだったからなのか、ディナーじゃなくランチだったからなのか、ネットの評価で見ていたような雰囲気はあまりなかったのですが・・・
意外と明るくてがらんとしてた。

でも、味はとてもよかったです。
きのこのスープが美味しかった。
量はかなり大目でしたけど。




お店のお姉さんによると、エストニアの人たちは、小学生のときからみっちり英語を習うんだそうです。だから若い方は皆さん英語ぺらぺら。

フィンランドもエストニアも、観光関係の方と、若い人たちとは英語が通じないことはありませんでした。



外側から見た城壁


宿泊したホテル テレグラーフの入り口。


船の時間を気にしつつ、荷物を受け取って港に向かいます。
歩いて港について、ほっと一息。
乗り場がAからDまであります。ヘルシンキ行きはどこからだ?
と見回すものの、どこにも見つかりません。

ようやく港の見取り図をみつけると、どうやらコの字型の港の、反対側のターミナルだったみたい。
間に合わないかもー!
と重い荷物をかついでひいこらたどり着くと、受付のお姉さんに
「もう遅いわ。次の便に変えなさい」
といわれてしまいました。
料金はそれほど取られなかったものの、がっくり。

暇なので、港のクロークに荷物を預けて、すぐ横のショッピングモールへ行ってみることにしました。
このクロークのおばちゃんは、英語が通じなかった!
少し年齢層が上がると、あんまり英語教育を受けてない世代もいるみたいです。
でも身振り手振りでどうにか話を伝えたところ、なんとタダで荷物を置かせてくれました。
おばちゃんありがとう。

ショッピングモールでは、フィンランドとの物価の違いに仰天。
ペットボトルも1本30円くらいのとかがありました。
フィンランドから買出しに出てくる人が多いのも納得。

そしてこんどこそフェリーに乗って、フィンランドに帰ったのでした。

フィンランド最終日はヘルシンキを大急ぎで観光。
ヘルシンキ大聖堂、テペリアウキオ教会、ヘルシンキ現代美術館、マリメッコ、etc...

おみやげに葉書でも買おうと寄った郵便局では、トーベヤンソン生誕100周年の記念切手を売っていました。
そしてそれの特集で取材に来たらしいラジオのひとに、インタビューされちゃいました。
この切手のこと知ってた?
トーベヤンソンは知ってる?
どこから来たの?
何しに?
などなど。
つたない英語でしたが無事通じたのでしょうか。

最終日はだいぶ省略しましたが、夕方の飛行機に乗って、また10時間のフライトを経て日本に帰りました。

この旅でお世話になったIさんご家族、ほんとうにありがとうございます。
もっとゆっくり1都市を味わってみたいし、オーロラリベンジもしたいし、また行きたいなあ。
だんだん寒い季節になってきて、旦那さんはまたフィンランド行きたい熱が再燃したようです。



やっとのことで(ちょっと無理やり)終わったフィンランド旅行記。
また普段のことも書いていこう。
ではまた。