2012年1月27日金曜日

送り物

最近、湿潤療法をしています。

先週の金曜日、街へ出かけて、チャリでこけまして。
まだ飲む前だったのに、素面だったのに、こけまして。
左ひざにすりきずを負ったのです。

ちなみにこけたのは、横断歩道で左折車に巻き込まれ、というか、横っ腹に突っ込まれそうになって、避けて左にカーブし、元の道に戻ろうと右にハンドル切ったところで、あの細いチャリのタイヤが路電の軌道敷にはまったからです。
なんてみっともないこけかた。いっそぶつかっとけばよかった。笑

ただでさえヒザきたないのに、これ以上きずきずになるのもやだし、湿潤療法というものを試すいい機会だと思ったので、やってみました。

実家でも父親が知り合いの皮膚科医に聞いてきて、けっこう早くから家族みんなで湿潤療法使ってたんですが(実家は医者じゃない)、やっぱ皮膚科まわった後とか、傷をよーく観察するじゃないですか。自分の傷の回復過程、見たいじゃないですか。


てわけで金曜日、帰宅してから洗って、ラップ巻いて寝ました。
テープ持ってなくて、巻くしかなくて。
土曜日、ラップ巻いて、レギンスでおさえて生活しました。
日曜日、ラップ巻いて、持ってたテーピングで軽く止めてダンスに行きました。
途中で、ラップがジャージの裾からでてきました・・・
やっぱ巻いただけじゃ運動には耐えられなかったか。
てことで、帰りにテープを買いました。
安くて使いやすい和紙のテープ。というふれこみ。

日曜日の夜からは、ラップを紙テープでとめて生活しました。
細い傷はだいぶ落ち着いてきた気がする。
ただ、くさいです。いささか。

滲出液ってのは臭いんです。
人間だってナマモノだものね。そりゃ生臭いわよね。
どんなにキレイにして香水とかつけてたって、一皮むけば臭いのですよ。

そして今日まで、順調に治ってきてるのですが、問題がひとつ。

紙テープかぶれ。


かぶれるんですよ。そういえばネットで参考にしたサイトの人もかぶれたって。
かゆいよーもはや傷よりかぶれの方が赤いくらい。

そんな今日、実家から荷物が届きました。
食糧がいろいろ。うれしいな。
と思ったら、ひとつ封筒が入っています。


ん?ビール券?なんと!まさか!

と思って開けたら、案の定、ちがいました。

こんなものが。


ハイドロコロイドってやつですかね?
ちょっと違うかな。
ともかく、湿潤療法に使えるテープ。


ツイッターで湿潤療法のことつぶやいてたから送ってくれたんでしょうね。
これならたしかにかぶれにくい。有難い。


しかしねえ、なにもこの封筒じゃなくたって・・・期待しちゃったじゃないですか。
開けて、ひとりで笑っちゃったじゃないですか。


なにはともあれ、親からの荷物はうれしく、湿潤療法はなかなかイケてるってことでした。



ちなみに飲む前にこけた金曜日は、ちゃんとそのあと飲みに行きました。
珍しくストッキングなんかはいてたのにタイツと皮が一体になって剥けて血がだらりだったので、コンビニでストッキングかってトイレで傷洗って拭いて、まだ血がにじむところをむりやりストッキングはきかえました。
だって街はもう目前だったんですもの。帰るだなんて。笑

2012年1月25日水曜日

柳のようにしなやかに

先週の土曜日、「こころのケアセミナー」に行ってきました。
研修医向けのメンタルヘルスの勉強会なんですが、年の近いOBの先生が講演なさって、座長もOBの先生ということで、学生もかなり来てました。

SOCについて。

SOC、首尾一貫感覚。

過酷なストレスにさらされてなお、心身の健康を保ち、さらにはその体験を成長の糧にできる人、はSOCが高かったんだそうです。

自分を客観的にみることができて、一見無意味無益時間の無駄にみえる体験にも意味を見出して取り組み、先の見通しを立てて、処理することができると感じられる、能力。

現実と自分の目指すものに乖離がうまれたとき、一本の芯は貫きつつ、しなやかに目的を変化させられる感覚。

これが低いと、うつ病なんかになりやすいらしい。

初めて聞く、心ひかれる話題でした。

SOCがよく発達するのは乳幼児期、思春期、20~30代だそうですが、考え方を少し変えることで、SOCの低い人もある程度ストレスに対応していけるんじゃないかなあ。


ちなみに座長をした先輩に、ねこはSOC高そうだね、と言われましたが、
あたしもそう思います。
実際、ネットにあった短縮版でやってみたら、標準値内で、いちばん上でした。
(SOCは評価尺度で測ることができます。もとは29問、短縮版は13問くらいの質問形式)
あんまりSOCが高すぎるとそれはそれで人格に問題ありらしい(人に責任を押し付ける、他人を困らせてもストレスに感じないetc)ので、そのくらいでいいかなと思います。

ストレスっていっぱいあるけど、
「今もやもやしてる理由は何だ?」って、原因を自己分析するだけで、ずいぶん軽くなります。
たとえストレスのもとが解消しなくても、知ってるだけで違います。
今やってることが何かに繋がってる、と思うこと。
今、自分がやりたくてこれをしてるんだ、と思うこと。
うじうじ考えてひきずらないで、どうにもならないことは横に置いておくこと。

あたしのストレス対処法はそんなとこかな。
たまには逃避もするし。


あたしの芯はたぶん、30年後くらいに、どっかのムラでおじーちゃんとおばーちゃんに囲まれて、
「きょうはあの人来ないねえ、具合悪いんやろか」
なんて患者さんが世間話してるような診療所で暮らすことです。
いまのとこ。

そして、今いっぱい楽しく、好奇心に素直に生きること。
やりたくないものにもちょっとだけ興味を持って、きっとどこかで活かされる、って思いこんで。笑

人格的な、SOCの高いひとでありたい。



それから面白かったのは、メンタルヘルスケアの話。

勤労者のメンタルヘルスケアには4つ、セルフケア、ラインケア、事業所のスタッフによるケア、事業所外の専門家によるケアがある。
そのうちいまあたしたちにもできそうなのは最初のふたつ。
自分でのケアと、周りによるケア。
この、周りによるケアって、大事にしなきゃいけないな、と思いまして。

うつになっても、周りに相談できないひとが大半だそうです。
周りが気づければ、救われる人はきっといる。

自分の周りの人たちは、メンタルヘルスについて勉強してるし、理解を持ってる、
って認識があれば、自分が調子悪くなったときに相談しやすいと思う。少しは。

だから、先輩方が講演会を企画して、呼んでくださる、こんな企画、素敵だな、と思いました。
あたしもメンタルヘルス、勉強しようかな。
自分が図太い人間なだけに(中身はガラスのハートだと信じているけど)、ひとの弱さに鈍感になってしまうのが怖い。

2012年1月19日木曜日

1月14日の怪

Facebookには書いたんだけど。


「去年の今ごろもぽかおん通ってなかった?」

って言われて気づいたんだけど、そう。去年も、通ってました。

ある日突然、水道管が凍ったとかで水がちょろちょろしか出んなって、水圧低すぎて給湯機が作動せず、お湯が使えなくなったのでした。(以来いまだに水圧は低く、お風呂いれながら洗い物、とかできない)
食器を洗うのにも一苦労だったあの頃…


去年の手帳を見てみたら、水が出なくなったのはちょうど1月14日。
今年の火事も1月14日。

・・・何の偶然!?
怖いわ

去年は水、今年は電気。いずれにせよぽかおん。
来年はガスなのかな…やっぱりぽかおんだな。
ぽかおんすげーー

去年は3、4日で生活できるまでに復活しました。今年も4日で復旧。
大家さんありがとうございますm(_ _)m

そして来年ガス止まりませんように!

電気復旧ーーー!!!


4日間、真っ暗だったマンション西側に明りが灯りました。
ちょっと感動。


電気が使えることの有難さよ。
電気を制御した文明の偉大さよ。
電気の存在という神秘よ。



たった4日間でしたが、いろいろと大変でした。
家に帰ったらアロマ用のキャンドル灯しまくってムーディーな部屋にして、
冷蔵庫も止まって冷凍してたひき肉約400グラムがとけだしたので、キャンドルの明かりを頼りに人参と玉ねぎをみじん切り→ミートソース大量作製、したり。
鍋でご飯炊いてみたり。

お風呂の給湯機だけは電気引っ張ってもらえたものの、ドライヤー使えないから人んちのお風呂借りたり、ぽかおんに行ったり。
ぽかおん600円ですよ!イオン会員だから50円引きだけど普通なら650円!
さらにドライヤー3分20円!
2回行ったから1240円!

それから洗濯機も使えないので、人んちの洗濯機をお借りして洗濯したり。
きょう、電気が復旧してうれしくて、つい洗濯してしまいました。
家で洗濯できるって、イイネ。


ま、電気が止まってるからこそのイイ事もなくはなかったのですが、
いや、電気ってすばらしいわ。
当たり前の日常が、当たり前であることの危うさを感じた4日間でした。

まだ、仮復旧だから、本復旧のときにはもっかいちょこっと停電するらしいですが。
ともかく普通の生活ができるようになりました。

心配してくださった方、ありがとうございました!
電気、大事にしましょー。

2012年1月15日日曜日

素っ裸ごーごー


裸のススメじゃございません。
火事です。
てーへんだ、てーへんだ、の火事です。

人生23年、まさかの火事に遭遇。

ご心配くださった方も多いのでここでちゃんと書いとこうかと。


あれは土曜日のことでした・・・
金曜日は朝方まで飲んでいて、帰って化粧だけおとしてばたんきゅー。
目が覚めたのは15時半。
用事もあるし、いーかげん起きてお風呂にでも入ろうかと思ったのです。

服を脱いで、お風呂場に向かう時、どこからかサイレンの音が聞こえてきました。
救急車じゃないな、パトカーか消防車かな?(聞き分けれないひと)
あ、近所でとまった。このへんで何かあったのかな~
今思えば、これが沢田マンションの前にとまってたわけですよね。。

さて気にせずお風呂場で、お湯出るの遅いなー(うちにはお湯はすぐ出ないうえにしょっちゅう水になる、素敵給湯機がついてます)とじっと待っていたら、裏の方からどんどんいう音が聞こえてきました。
沢マンはいつもどこかしら工事してるので、どんどんいう音は日常的。
あたしの上の部屋も、ときときどしんどしん言ってます。
今思えばこれが、スプレー缶とかの破裂音だったのか・・・

いつものことなので気にしません。
寒い寒いとお湯を待っていたら、こんどはたき火っぽいにおいが漂ってきました。
んーこのへんで誰かたき火してるのかな?
※この時点であたし素っ裸

でもさすがに何かが変だと思って、いったんお風呂場を出ようとした、とき、
起きてからつけたエアコンの室外機の稼働音が、ぷつっと切れました。
お風呂の電気も部屋の電気も、消えました。


もしかして、火事?


いそいで服を着て(ノーブラでしたすいません…)、防寒だけしてとりあえずメガネかけて、携帯と鍵と、お財布の入ったかばんを持って、外に出ました。
外では誰かが何か怒鳴ってます。
部屋の戸を開けたら、ふたつ隣に住んでるひとも、ちょうど出てきたところでした。
何だろう?と状況を理解してないふたりそろって眉を寄せ、東側(うちはマンションの西寄りの部屋)を見たら、煙で廊下が真っ暗。
このへんも煙ですごいにおい。

うげーと思って、スロープを通って下に降りました。
2階の、スロープから入ってすぐの部屋が、すごい勢いで燃えてました。


マンションの西隣にある焼鳥屋さんの前で、消防隊(やっぱかっこいい、かも?)の人々の活動を待つこと1時間ちょっと。
消防車どうしをホースでつないで、道路の給水栓の蓋があいてて、ぺったんこだったホースが水圧でどんどん膨れて水を運んで、隊員さんと消防団のおっちゃんたちが走ってて、
なんかすごかった。

そして自分が何もできないってことを痛感しました。
となりの部屋の人に声をかけることも(あたしより先に逃げてたっぽいけど)、携帯財布以外の大事なものについて考えることも、もしスロープも廊下も通れなかったらどうやって逃げるかってことも、もし大事になってたら何か行動できたかどうかについても。

ああ、あたし、無力だ。


部屋に戻れたのは17時すぎ。
火元の部屋は、真っ黒になっていました。
もう暗くなる時間帯だったから、よけいに真っ黒。
部屋のうえは3階まで、煤で黒くなって、緑のアロエも真っ黒。

焦げたわけじゃない、と思う。

沢田マンションは火事が多いって聞いたことあったけど、まさか自分が住んでるときに、部屋にいるときに会うことになるとは。

出火の原因は、ストーブとスプレー缶のコンビによるもの、らしいです。
火元の部屋のおじいちゃんが軽いやけどをしましたが、そのほかにはけが人もいません。
左隣のお部屋と、真下のお部屋が消火のために水浸し。
水道管と電線もやられちゃったらしく、その管と線の支配域によって、水がちょろちょろだったり電気がつかない部屋があったりしてます。
なんともない部屋もあります。

そんな感じ。

うちは、電気がつかなくなりました。

お風呂に入ろうと思って起きたのに、そのまま火事騒ぎになってしまって入り損ねたので、とりあえずぽかおんへ行ってみました。お湯も出ないだろうし真っ暗だし、なによりドライヤー使えなかったら風邪ひく。
消防車がしばらく止まってて車だせなかったから、チャリで。
よーくあったまって、持ってきたタオルを使ったら、タオルが煤くさくなってて参りました。
夜はバンドの練習。そして先週から行きだしたHouse練習会。
ジャケットを着たら、それも煤くさくなってて滅入りました。

そのあと、用事があったのでよこじいへ。
ま、真っ暗な家に帰りたくないってのもなくはない。

FacebookにいもTwitterにも書いてたし、ニュースにもなったみたいで心配してくれました。
カテキョの子も、ニュース見たってメールくれて嬉しかったな。

そういえば1日中食べ損ねていたご飯をやっとよこじいで食べて、二ライへ。
二ライのマスターも心配してくれました。
「冷蔵庫とか大丈夫?」
あ、冷蔵庫!さすが料理する人は気づくところが違います。ってかあたしが気づかなすぎるだけなのか。冷蔵庫、てか冷凍庫、困りました。。
携帯の充電も心配してくださって、充電させていただきました。ありがたや・・・

最後にShelterへいって、ちょっと話して、ご協力いただいて、4時過ぎに帰宅。

あいかわらずスロープを上ると煤くさく、火元の部屋の横にはパトカーがエンジンかけたまま止まっていて、家の電気はつきませんでした。

何が困るって、トイレですよ。
真っ暗なトイレとかもうハマりそう。
あと、洗濯物。
ここんとこため気味で、土日で洗おうと思ってたのに・・・
干してたぶんも全部煤くさいし。

今日になって、お風呂だけは入れられるように大家さんが電気を引いてくれました。
が、全部の電気が復旧するのは、1週間くらいかかるかも、とのこと。
もう配線ぜーんぶ取り換えるらしい。


メールとかコメントとかリプライとかで、大勢の人が心配してくれて嬉しかったです。
こんなときに心配してくれる人がいる、頼っていいよって言ってくれる人がいるって、心強い。ありがとうございました。

ひとまず、お風呂も洗濯も冷蔵庫の食べ物も、どうにかなりそうです。

ほんと、大事には至らなくてよかった。
火って便利だしきれいだけどとっても怖い。
冬だし、みなさんお気を付けください。
それから、電気。
電気ってめっちゃ大事!
明るいことも、見えることも、電気機器が動くことも、その存在の大きさを実感中です。


近況報告でした。
ご心配おかけしましたm(__)m

2012年1月7日土曜日

雪!長野より四国!

4日、午前中はとなり町の病院まで祖母のお見舞いに行きました。

ほとんど意思疎通はできないんだけど意識ははっきりしてるし、話しかけるとうなずいたり手を伸ばしたりしてくれるのでいろいろ話してみます。
母娘3人+従姉とで行って、賑やかでした。

その後従姉の家でお昼をご馳走になりました。
叔父叔母もいましたが、なんというか、静か・・・
我が家の賑やかさとはまったく違って、とても静かなおうちです。
我が家は賑やか過ぎるんだな。我も我もと喋り出すからなあ。

叔母は料理を教えている人なのですが、この日もお手製のパンが出てきました。
ふわふわで美味しかった!


道が凍る前に長野を出なくては、ということで、3時前にお暇して、家で荷造り・・・
外は雪もちらついています。
と思ってたらどんどん強くなってきた。。


あわてて荷造りして、車へ積みに行ったらありがたいことに雪はほぼ止んでいました。
でも車にミニつららが。
久しぶりにつららを見たもので、嬉しくてつい撮ってしまった。


ま、長野で暮らしてれば長さ1メートル級のつららに出会うこともあるんですが。
小学校の時、冬のおやつは帰り道に取るつららでした。
つららを剣にして遊んだりもしました。
雪国の人は覚えがあるのでは。

融けかかった雪道を走って高速に向かいます。


お土産のために乗るなりパーキング。
雪を積んだ車もちらほら。

当たり前の光景だったんだけどなー、長野を離れてからはすっかり珍しい景色になったな。

ここからはひたすらチェーン規制の50キロ規制で、4時間くらいかけて長野県を脱出しました。そこから岐阜、名古屋を通って、あとでちょっとだけ後悔する、「変な気」を起こしたのです。ま、楽しかったからいいんだけど。

西に行かずにちょっと南下。

ものすごく寒そうな感じで雪が降っていました。
南下したんだけどな、標高上がったのかな?

 


そしてこの写真でみえるかわかりませんが、キロポストに吹き付けられた雪で、距離表示が見えない。高速道路情報のラジオって○○キロポスト付近で・・・って言ってくれるんだけど、いまどこにいるかわかんないよー

海が近づくにつれ雪はやみ、そしてお気に入りの都会的瞬間。笑


このあとしばらくは楽しい工場地帯だったんですが、運転しながらカメラ片手に画面も見ないで撮るもので、ブレブレ。夕方に通ったらきれいだろうな~

海が終わるとふたたび雪。
この辺はけっこう山の中なのかな。
ものすごーく渋滞してて、ひたすらとろとろ進みました。
70キロくらい出せるときもあったけど混んでて、しかも雪って感覚が狂う。
前から吹き付ける雪のせいでスピード感が全くなくなって止まってるような気がしたり、車高がものすごく低くなったような錯覚に陥ったり。
ひとりで長時間雪道の運転するって、すごいストレスですね・・・
おかげで眠くはならなかったけど。

名神に入ったら雪はほぼなくなりました。
そのまま阪神高速神戸線に乗っかって、淡路へ。
阪神高速も都会っぽくて好きです。
混むときはめっちゃ混むけど、このときはすいててよかった。

淡路島に入ったら、前後にほとんど車がいなくなりました。
みーんな都会に帰ってしまったのね。

淡路を抜けて、高松道。
松山道通行止めがわかったしばらく後に、高知道も通行止めになりました。
やっぱりか。。
というわけで善通寺で下道に降ります。
うどんツアーのたびに通る319号。
このあいだまんのう公園のイルミネーション見に行った時も通ったな。
からの、32号。

32号に入る前にコンビニであったかいものを食べようと思ったのに、肉まんを頼んだら什器に入れたばっかりで食べれず。
くやしいので次によったローソンでカップヌードルを買いました。笑
お湯を入れて、とりあえず走りだして「たからだの里さいた」まで行ってから、いささかふやけ過ぎた麺をすする・・・

やっぱりあたしの中ではカップヌードルが一番です。
月に1回もカップ麺て食べないけども。

元気を補充して、いざ峠越えに挑みます。

32号に入るまでにさんざん「32号猪鼻峠チェーン必要」って電光掲示を見てだいぶびびらされてたあたし。スタッドレスはいてるけどチェーンも巻いた方がいいのかな?いちおう金属チェーンは積んでるけど、1回親に教わって以来巻いたことないしなー・・・
ま、結局巻かなくて大丈夫だったんですけど。

あとは前の日記に書いたとおりです。
最後の最後でやられました。笑

 


なるべく直線なところで撮った疾走感あふれる1枚。
もーこのあとはスリップが怖くて運転しながらは撮れませんでした(もともと撮っちゃダメか)

無事に帰ってこれてよかった。

金曜日実習に行ったものの、翌日からまた3連休で、いまいち調子が出ません。どっか遠出でもしようかなー

2012年1月6日金曜日

思い出のうた

松山のYH、1日の夜は毎年恒例新年パーティー。
食事がバイキング形式になって、ドリンク飲み放題。
もちろんビールです。生です。

あんまり食べて重くなると帰りの燃費が悪くなるので、控えめに・・・笑
でもしっかり食べました。飲みました。
そして母親の子供の扱いのうまさに驚愕。


パーティーのあとは、毎年恒例くろねこ一家の音楽会。
母ピアノ弾き、あたしピアノ弾き、妹バイオリン弾き歌うたい、父ほら吹き
のくろねこ一家。
かつては近くにあったうたごえ喫茶によく出入りしていたこともあり、旅先ではよくミニ歌声をやります。中に妹のバイオリンも織り交ぜつつ。
あたしもかつてはピアノ弾いたりしてたけど、もうずいぶんとピアノから離れてしまったので、今は妹の伴奏を1曲と、母の譜めくリストと、あとは歌声要員です。

妹の伴奏は、もう中学くらいからずーっと弾いている、ザイツの協奏曲第2番3楽章。
年に1,2度しか弾かないけど、すっかり暗譜してしまいました。
このままいくと死ぬまで忘れないかもしれん。


うたごえは、もちろん昭和歌謡中心。伴奏母。
かつて若者としてYHを利用していた人々が、いまのYHの利用者の中心なので(悲しいことに)、これでOKなのです。
ひとり小学生もお母さんと一緒に聞いていてくれたけど、たぶん知ってる歌ほとんどなかったよね・・・ごめんね。
うたごえ喫茶で育ったあたしもわかんない曲あったし。

遠い世界へ 青い山脈 憧れのハワイ航路 東京ブギウギ 上を向いて歩こう etc...
小学生がわかったのはきっと 翼をください だけだったね。
ちなみにあたしが昔よく歌ってたのは、ケ・サラ です。 なるようになるさ、って歌です。
「僕たちの人生は 涙とギター道連れにして 歩いて行くようなもんさ」ってうたう小学生・・・。
ほかにトロイカとかカチューシャとか見上げてごらん夜の星をとか、あなたが夜明けを告げる子供たちとか歌ってたなあ。
なつかしいひと時でした。

2日に祖父の家に泊って、3日は長野まで移動。


中学の合唱部の同窓会へ。
中学はテニス部でしたが、最後だけ合唱部に入ってました。
ちなみに高校は弓道部ですが、1、2年の時はずっと合唱部の伴奏をさせてもらってて、関東甲信越大会まではいきました。あれ、いったよね?
合唱とのかかわりはけっこう深いのです。

懐かしいメンバーにあって、2次会のカラオケで合唱曲なんかも歌ったおかげで、現在合唱曲の波がやってきています。
過去に歌った歌とか、Youtubeで検索して聞いてみたりして。

ちなみにあたし、小学校から高校まで万年伴奏係だったので、ステージで歌った経験はほとんどありません。学年合唱で他のクラスの子がひいたときとか、アカペラだったときとかくらい。
小学校の全校集会のときは、クラスの他の子が弾いたこともあったかな。


いまだに弾ける
「時の旅人」
 小学校の音楽界で、クラスで歌いました。
ときどき歌う方もやったから、歌って伴奏もできる数少ない曲かも。


中学の時の課題曲
「白いページ」
 


自由曲
組曲 風紋より「あなたは風」

自由曲
組曲 わがふるき日のうたより「鐘鳴りぬ」
 歌詞が古くて格好良くてすき。


高校の課題曲
「新しい人」に
ちょっとこわい歌詞だけど大好きでした。 


2年の時の自由曲
ピアノのための無窮連祷より「生きる」

めちゃくちゃピアノ難しかった・・・
合唱曲なのに、「ピアノのための」ってとこがまずおかしい。

ほかにも山ほどあるけど、こうやって聞いてるとやっぱ合唱もいいなあって思います。すこしでもやれてよかったな。


合唱の同窓会の後は中学の同級生と飲みました。
関西に行って、関西弁に染まる長野人もいるということがわかりました。
あたしもすこしは西の言葉うつったけど、なかなかネイティブのようには話せません。酔っぱらうとすこし出ます。笑 地元に帰るとひっこみます。
長ーくこっちに住めばあたしも、きーとかちゅうとか言うようになるのでしょうか。

長野弁て、いまいちわからなかったんだけど、基本標準語だと思うんだけど、やっぱり「山っぽい」ってこともはっきりしました。
なんかこう、「さー」が多くて、いなかくさいというか山から降りてきました、って感じというか。ずーずー弁とかじゃないのよ、ちっちゃい「つ」が多いというか。
ま、若い子はそれほどでもありませんけどね。

余談ですが長野県では、給食を食べ終わるとみんなで
「いただきました」
と手を合わせます。
「いただきます」に素直に対応していて、とてもいいと思います。

辰年!石手寺!

どわーーっと帰省を振り返ったあとは、もーちょっとゆっくり書いてみます。
2度手間なんていわないで。
しゃしんがたくさんあるんです・・・


まずは帰省直前。

大家さんとこ(マンション5階)へお家賃を払いに行きました。
家賃を払うと、毎月トイレットペーパーをくれます。
ふだんはみっしり巻かれたふつうのやつをひと巻き。
ありがたいことです。おかげで5年間、トイレットペーパーをかったことがありません。
むしろ一人暮らしだと余るので、ときどき余剰分を実家に持って帰ることも。

さてそんなトイレットペーパーですが、今月はちょっと違いました。


か、かわいい・・・
いつもより巻きが少ないから2個、だそうです。

辰年だよー、年女だよー。


さて、愛媛に移動しまして、31日の夕陽。
2011年最後の太陽です。



太陽よありがとう。
2012年もいっぱい照らしてください。
あと写真もいっぱい撮るから覚悟しとけ。


次はマンホール。
旅の思い出に面白い、ときょねん知ったマンホール。
「おすい」しか撮らなかったけど、「汚水」だけど。


ほぼ同じデザインなのにちょっと違う。
誰こういう細かいことするのは。

 


2012年もいろんなマンホール集めたいと思います。
けっこう撮り忘れるのよね。


そして愛犬のお墓参り。
1999年末、世間が2000年問題に騒ぐなか、我が家の2000年問題はこっちでした。
毎年来てた旅先で亡くなって、そこの山に眠って、いまだに毎年家族が墓参りに来るこの子はなかなか幸せだったのではないかと。

 


こんな竹林の上に埋まっています。
実家で買ったばかりの頃の写真見せてもらったけど、かわいかった!

ちなみに我が家の2000年問題は、愛犬の死のほかに電化製品の集団故障がありました。洗濯機が壊れ、真夏に冷蔵庫が壊れてアイスクリームが液体化し、掃除機が壊れ。
って妹が友達に言ったら、「それって2000年問題じゃなくてくろねこ家問題じゃない?」って言われてしまったそうですが。
懐かしいな2000年問題。


お墓参りのあとは石手寺参り。
四国八十八か所にも入っているこのお寺、マッドな世界を集めた本にも入っている、一風変わったお寺なんです。
YHからだと裏口が近いので、我が家はいつも裏口から行くんですが。

まず裏口に向かう山を越えるとこんな景色が。


遠くの山にたたずむ大きな石像・・・
そして振りかえるとそこにはお釈迦さまが立ってたりします。

右手には「いして幼稚園」なる幼稚園。
カラフルに、英語も取り混ぜて装飾された入り口の門、そしてこれまた賑やかな園庭。
園舎の横壁はこんな感じ。


園児はどんな感じで教育されてるんだろう・・・

その先、左手の入口をくぐると、金色のまるい建造物。


今年は入らなかったけど、この中は2階建てで、2階にあがるとものすっごい数のお地蔵さまが集会をしています。ちょっと、いやかなり、こわいです。



そしてここには猫が多い。
「えさをやらないでください!」という注意書きのわきには、ばっちり餌を入れたトレーが置いてありました。

こんなのもいます。

 


父が面白がって数えたら、肋骨が14本くらいありました。
修行すると体の構造がかわるんだろうか・・・
なんて言ってたらバチが当たりそうです。。

奥には謎の石像群がちりばめられた庭園が広がり、もう少し行くとちゃんとした入口が。
ここは、石手寺の奥の院だったみたいです。

 


さらに坂を下っていくと、岩にこんな横穴があいてます。

 


これが石手寺を石手寺たらしめている(と思う)、マントラの入口。
いや、裏口?
ど真ん前に立ってる灯籠のせいで、きっとものすごく太っちゃったら入れないな。

中は薄暗い洞窟で、真ん中にはられたロープで左側通行になるように分けられています。
そのロープが巻かれているのは真ん中に転々と並ぶお地蔵さま。
壁には標語のようなものがところどころ置かれています。

洞窟はL字型になっていて、角の所で石手寺の境内に出られます。
さらに奥へ行くと、そこはまたものすごい世界観と色彩感の空間が広がっているのですが、今回は行きませんでした。
興味のある方はぜひ行ってみてください。
ネットで検索しても、このマッドな一面をとりあげたHPがあったりしますよ。


表側は普通の歴史あるお寺な雰囲気です。

 


今年はNHKのゆく年、くる年にも使われたんだとか。
平和祈願の鶴を折ってきました。

うーん、毎年行ってるけどよくわかんないお寺だ。


帰りは表から、道後の温泉街を通って帰ります。
毎年入ってるけど、今年は道後温泉には入らず。
ま、もう何十回と入ったからたまにはいいか。

途中、ガードレールにこんなシールがはってありました。

 


なんなんだろう、地震関係?お遍路さん?
??


そんなかんじの道後泊。

余談ですが愛媛の岩屋というところでは、山がミニ八十八か所になっていて、タダで1日で八十八か所を巡れます。
アクロバティックな場所もあって、いい運動にもなります。
砥部の付近らしいので、興味ある人はどうぞ。

2012年1月5日木曜日

回遊魚的帰省

あけましたおめでとうございます。

えー帰省してきました。
規制に振り回された帰省でした。なんつって。


年末に書いたとおり、年越しは愛媛。
これはあたしが生まれる前から続くわが家の伝統です。

母親のお腹のなかで卵子だったときも、胎児だったときも、生まれて今度は背中に乗っかっても、父親の肩に乗ってた時も、そして脛にかじりついている現在も、ほぼ毎年愛媛です。
みんなで中国旅行へ行った95年(6歳?小学校に入る直前。帰国した翌日に阪神大震災が起きました・・・)と、バレエのコンクールに出た2001年(たぶん)と、大学受験の2007年以外は毎年来てると思う。

家族4人が高知で合流して、父親とあたしと車2台で移動。
高速か下道か悩んだ挙句、高速で須崎まで行って、197号で梼原を通って愛媛に入り、内子五十崎から松山高速で松山へ行く、というルートになりました。
去年もこの道だったきがする。

母が助手席、父親の車には妹。
うちの一家が二手に分かれるときは、たいていこの組み合わせになります。
どちらかというと「普通」寄りの母+あたし と
あきらかに「宇宙人」な父+妹 。
当然の流れですな。

31日は移動と、夜に2年参り。
一緒に歩いた人(YHの親族で、お酒好き)がビールを買ってくれたので一緒に飲みながら歩きました。行きに1本、帰りに1本/人(もちろん500)。
YHに戻って年越しうどん。「太く、長く」だそうです。
いつもは市販のうどん⇒手打ちうどん と、鍋に入って何弾か出てくるんですが、今回はお客さんも少なかったらしくて1鍋だけ。
やっぱり国外からのお客さんも減っているみたいですねー。
例年、外国の人も大勢きてたこのYHですが、今年はALL日本人でした。
こんなところにも震災の影響かな。

3時過ぎまで飲んで、翌1日はお買いもの。
エミフルってショッピングモールが、1日から初売りなんです。
母と二人ではしゃぎ、おしゃれが苦手な妹(興味がないわけでもないらしい)の服をあーでもないこーでもないと選び、洋服にまったく興味のない父はお店の什器を眺めて作り方に思いを馳せていました。
こんなところでもわが家二極化。

コートと、ユニクロの(笑)ヒートテックを買ってもらいました。
妹もユニクロでぴったりめのワンピースを。

それから1999年12月31日、ここのYH宿泊中に亡くなった犬のお墓参りと、石手寺っていう超個性的なお寺参拝をして、夜はYHの新年パーティーでまたまた飲み、2日は移動日。

引き続き九州旅行に行く父親を置いて、女3人あたしの車で朝早く出発しました。
京都に戻るという、YHのヘルパーさんも乗せて。
早く出たおかげであんまりひどい渋滞にはひっかからなかったけど、やっぱり宝塚付近とか京都近辺は混みます。
箱根マラソンの様子をラジオで聞きつつ、岐阜を目指しました。

夕方名古屋について、栄でお買いもの。
妹の服をどうにかこうにか選び、あたしもセーターを1枚。
「妹の服を買うともれなくあんたのもついてくる~」と母親に言われてしまいました笑
ま、お年玉代わりということで。ありがとう母。


ふたたび高速に乗って多治見まで。
カーナビをつけない主義なんですが、もと名古屋人の母親を頼っていたら高速に乗るまでに迷いました。名古屋を離れて20年以上だもんな。あたしもこのまま高知に住み続けたとしたら、長野でこうなるのでしょうか。。
7時半過ぎに可児市の祖父の家に着きました。
夕食には立派な牛をしゃぶしゃぶ。
美味しかった!

食後はみんなでお酒を飲みました。妹も成人して、やっと堂々と飲めます。弱いけど。

父も母も、お酒は飲むし好きだけど弱く、あっという間に真っ赤っか。
妹はかつて奈良漬けを1本の半分くらい食べて酔っぱらった過去を持ちます(食べすぎともいう)。
あたしだけ、飲んでもたいして顔色に出ず、おつまみ大好きお酒すき。
やっぱりこの家の血が流れてないんじゃないんだろうか・・・

あんたは白いから川で、妹は黒いからドブで拾ったのよ。なんて親は言ってたけど、ほんとは拾われっ子はあたしだけなんじゃなかろうか・・・なーんて。

この日はそこそこ早寝して、3日は朝ご飯をいただいて、出発。
ここからはわりとスムーズに実家まで帰りました。
どんどん景色が白くなって、北国っぽくなって。
昼の12時過ぎに長野駅裏であたしが降りて、母親に車を任せ。

1時から中学時代の部活同窓会。

中学は3年間テニス部だったけど、3年生の夏に引退してから、3ヶ月くらいだけ合唱部員だったんです。うちの中学は合唱がとても強くて、全国大会で金賞とるくらいだったんですが、やっぱり少ない男子を補充するために運動部を引退した3年男子が毎年3ヶ月くらいだけ入ってて。あたしもその流れに乗って、なぜか女子なのに入ったんです。
懐かしいなー
あたしが入った年に先生が変わって、その年は全国は行けなかったけど、翌年からはまた2年間全国に出てました。
いまは見るかげもないらしいけどね・・・指導者って偉大だ。

合唱部を全国クラスに導いた、名物先生の時代の4学年が集まりました。
約10年ぶりの再会。 途中から入ったあたしは知らない先輩も。
ホテルでご飯食べつつ喋って懐かしいコンクールの映像を見て、写真とって。
2次会はカラオケで、歌わずに喋ったり合唱曲を歌ってみたり。
3次会は居酒屋。

でも、実家でご飯食べられるのはこの日だけだったので、そこそこで失礼しました。
家でご飯食べてたら、中学時代の友達が駅前で飲んでるって連絡が。

ご飯だけ食べてふたたび駅前へ逆戻りです。
毎年会ってる子もいたし、卒業以来だった子も。
7人でわいわい飲んで、日が変わる前には家に帰りました。
仕事してる子は4日から仕事はじまるんですね。
すごいなー、同級生には結婚したひともいるみたいだし。

あたしはまだまだ、あと1年ちょっとは学生です。

4日はとなり町の病院にはいってる祖母を見舞って、それから親戚の家でお昼をいただいて、夕方になる前に家を出ました。
高知に帰らなくちゃ。

Uターンラッシュのピークは過ぎてたはずだけど、混んでることころもまだありそう。
その前に、長野道は雪でチェーン規制がかかってました。
高速の料金ゲートのとこで、係のひとたちがタイヤチェックしてた。
タイヤ替えといてよかった!

高速に乗ってもずっと50キロ規制で、のろのろ。
車は多いし速度は出せないし、渋滞状態です。
買う暇のなかったお土産をパーキングで買って、のんびり進みました。
道は塩カルのおかげか凍ってなかったけど、しぶきがフロントガラスに飛ぶからガラス真っ白。
そのうちにワイパー使ってもきれいに拭きとれなくなりました。
??と思ってみてみたら、ワイパー凍ってるし。
ウインドウウォッシャーは-5℃まで大丈夫なやついれてたんだけど、雪の水は凍るもんなあ。

長野を出たら道もすいて、速度規制もなくなってすいすい。
ここで変な道を選んだのがいけなかったんですね。
好きな道があって、ちょっと都会的で、いくぶん(だいぶ?)遠回りだけどときどきむしょーに通りたくなるんですが、うん、ラッシュのときは名神との接続がとっても混むんでした。

都会感(笑
 



その道を選んだときはまだ大して混んでなかったんだけど、近づくにつれて距離が延びてゆく渋滞情報。
しかも超雪。
路面はとけてたけど、視界真っ白の雪でした。
無事名神に合流したころには深夜で、雪に疲れたので大津PAで仮眠。

それから走って走って、湾岸線を通って淡路島から高松道へ。

どうやら、川之江から先が通行止めらしい。
さきに松山道が止まって、高知道はまだいけてたんだけど、ダメだったか・・・
下道も時間の問題だな。

はたして、観音寺で降りた時には下道もチェーン規制になっていました。

32号にはいる前にコンビニで買い食いをして、英気を養います。
そしてどきどきしながら山登り開始。
電光掲示板には猪鼻峠がチェーン規制って出てて、道にも看板がいっぱいたってました。
でも、チェックする人はいないのね。自己責任ってことか。
道も融雪剤のおかげか凍ってはいなくて、そろりそろりと通り抜けることができました。
香川を抜けて徳島に入ったころ、眠かったので再び仮眠。
起きたら明るくなってました。

そして大豊へ・・・
なんだか路面が輝いて見えます。
こころなしかタイヤハンドルが回る気が・・・

ここらへんが一番凍ってました。すべりました。
スタッドレスも滑るんじゃん!夜が明けててよかった。

めっちゃゆっくり走りました。
まわりはとっても雪景色。
 


木も雪化粧
 


雪道を運転したことのなかった長野人、今回の帰省でだいぶ冬を知った気がします・・・

家に帰りついたら朝の8時過ぎでした。
鍵を閉めたのがひさびさすぎて、開けるのがどっち回しかわかんなくて困りました。
お風呂入ってからベッドに入り、次にベッドから出たら夜になってました。

てわけで、明日から実習再開です。
高知を出て戻ってくるまでの5日、うち移動日4日間。飲んだの毎日。
あいかわらず落ち着きのないわたし。
今年も飲んで飲んでばたばたして、の1年になりそうです。